老人女装小説 ひかるちゃんの女装物語 連載の1話 作/オカマのイナコ
先の戦争が終結したのが昭和1945年8月15日になるが、このひかるちゃんはこの日にはもう母親のお腹の中にいた。その頃、ひかるちゃんの母親は住吉区に住んでいたが、母親はすでに妊娠を知ってはいた。しかし、連日のB29の空襲で数千発のナパーム弾(大型の焼夷弾)、そして小型の焼夷弾のクラスター弾で大阪市内は焼け野原になっていたが、そんな中でもお腹のひかるちゃんを守っていた。これがいわゆる大阪大空襲で1945年3月13日深夜から翌日未明にかけてに最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲があった。
この大空襲で大阪市民の約1万人が亡くなっていたが、ひかるちゃんの母親は奇跡的に助かり、その終戦のあくる年の1月14日に無事ひかるを産んでいた。このひかるの母親は佐和子といい父親は傷痍軍人として満州から帰還していた僅かの時間に妻を妊娠させていた。そしてそのまま神戸の軍事工場で働いていた。
この大阪大空襲の時の母親というのは度重なる深夜の空襲で逃げまどうという恐怖がお腹の中の赤ちゃんに影響したのでひかるちゃんがオトコオンナ(性同一障害)
になったという母親の説明を今でも信じているという。その母親の佐和子はひかるに、
「生まれた時は2350gと小さかった、それに泣き声も女の子のようだったからこれは将来女の子になるかもとこの長男の息子に「ひかる」という名前を付けたのよ…」と小さいころから言い聞かせていた。
やがてひかるは小学生になるが、この母親の言葉が影響したのか友達といえばすべて女の子であったが、このひかるの両親もこのことはそんなに問題にせず母親の佐和子なんかは積極的に女の子っぽい服を買い与えてその可愛らしさを楽しんでいるようだった。やがてひかるは中学生になるが、さすがにひかるも女の子らしい服には抵抗していた。そして中学、高校と吹奏楽部に入りトランペットを担当するようになっていた。このひかるは楽器の演奏も好きだったが、目的としていたのはオーケストラの指揮者、それにクラシックの作曲だった。
そしてひかるは京都の立命館大学に入学して立命館大学交響楽団に入団している。そしてひかるの最初の学園祭を迎えるが、その時にひかるが希望したのは仮装行列の女装のドレス姿だった。この時がひかるの女装デビューになっていた。しかし、これはあくまでも仮装の女装であったのでひかるが誰も性同一障害だとも思っていない。というよりそもそも世間では「オカマ」とか変態としての女装は認知されてはいたが、今の「性同一障害」という言葉さえなかったことになる。
そしてひかる自身も正式に医師の診断で「性同一障害」だとは認められていないことを正直に話をしている。それにも訳がある、それはひかるの恋愛対象が男性ではなくやはり健康な男と同じように女性が好きだった。いわば少しなよなよした小柄な男性としか見られていなかったことが幸いして学生時代には変な噂はなかった。やがてひかるは立命館大学交響楽団、150名の学生団員のリーダーになり、全国大学交響楽団大会で全国制覇の金賞を2回連続獲得していた。
小柄なひかるだが、なにせ全国的に有名な交響楽団のリーダーであるから音楽関係の女性からは随分ともてている。その学生生活の4年間では女性との恋も数回経験している、このころ交響楽団と合唱団、それに他の音楽学部とのジョイントコンサートが頻繁に開催されていた。その中でクラシックのピアノ奏者の青山真紀と仲が良くなっていた。そのころの真希はもうピアノの有名なプロでレコードやカセットテープを出していた。そしてコンサートなどもあり真希の自宅にはその舞台衣装のドレスが山ほどあった。そもそもひかるの女装の衣装の好みはこんな豪華で派手な舞台用のドレスだったからこれを着てみたいと真希に真剣に申し込んでいた。
その真希も最初はこれらを冗談かもと気にしないで着させてくれた、ひかるにすれば心の奥にしまっていた子供のころのあの女心に火が点いていた。しかも小柄なひかると真希は偶然にも服も同じサイズであった。そして化粧までするようになったひかるに真希もこれは少しおかしな男と感じるまでには日はそんなにかからなかった。ある日、真希の自宅の部屋で両親が外出しているのを見越しての二人は妖しいムードになっていた。この日もひかるは真希のドレスを着ていた、そして真希は、
「ひかるさん、そのドレスと私とどちらが好きなの?」
「いゃ〜もちろん真希が好きだよ〜!」
「そう、それならもうこの部屋では私のドレスと下着を身に付けないで!」
「えっ、なんで…」
「私はそんな変態な人とはお付き合いはしたくはないの」
「でもこれは俺の唯一の趣味だと理解してくれたのではなかったの?」
「そう、それは…しかし、私の下着を付けた男の人に私が抱かれるなんてものは夢にも思ってはいなかったわ…」
「なら、もう真希の下着は着ない…と約束する」
この日はなんとはなしにこれで二人は結ばれたが、真希の心は白けてしまっていた。ひかるもこの微妙な空気を悟ったのかもう二度と真希とは接触しなかった。
ひかるの学生時代は演奏の練習や年2回の定期演奏会でかなり忙しくてアルバイトなんてものはとてもできなかった。真希と別れても女装への要求はあったが、この忙しさでなんとか紛らわしていた。幸い、真希とのお付き合いの間に真希のブラジャーとパンティーを3組もくすねていたのでそのパンティーを密かに身に付けて演奏や楽団の指揮をとっていた。自宅での作曲の時などはブラジャーとパンテイーを付けていた。やがてこのひかるの二歳年下の妹の幸子も兄の性同一障害を理解したのか、ひかるのために女性下着や化粧品まで買ってきてくれるようになっていた。
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